残念ながら、誰のことも信用できなかったミケランジェロは一生懸命ずっとためてきた財産などを一度も楽しめませんでした。自分の家族に対してもかなり疑わしかったので、財政難になっていた弟にお金を貸してあげても、いい顔をしなかったという噂もあります。
ミケランジェロとちがって、他のアーティストたちの人生の楽しみ方はそれぞれでしたので、すべてのお金を使い切るまでかけごとをしたり、お酒を飲んだり、女性と遊んだりしていたものです。例えば、レオナルド・ダ・ビンチはとても寛大で、無私無欲の人でしたので、困っている友達によくお金をあげたりしていたらしい。お金のような物質的なものはどうでもよくて、彼がいつも科学や発明などを優先していました。当時の親友によると、レオナルドが自分のことを画家よりも科学者として思っていたみたいなので、なくなる前にいちばん好きな弟子に重要なスケッチ、デッサンそして設計を遺しましたが、現在数えきれない価値のあるモナ・リーザや聖ジェローラモの絵を第二の弟子にあげてしまいました。昔のことだから、第一の弟子さんきっときにならなかったでしょうけど、今の我々の社会に生きていたなら、書類のどころか!だれの弟子でも絶対絵がほしがっていたのではないかと思います。
ラファエロはもともと貴族のものでした。若い時になくなった父親から大きい財産を引き継いで、お金のことで一度も心配したことがなかったと言われています。さらに、自分の才能と能力のおかげで、若手のラファエロがすぐ人気のアーティストになりました。いつの間にか油絵とか壁画などの依頼がものすごく増えましたが、先生はすべてのリクエストを上手に受け取るのは得意でした。したがって、お手伝いの人が多かったラファエロはミケランジェロに比べて作品を完成させるのはもっと早かったです。ラファエロは同時にアーティストとマネージャでもあったのです。彼のワークショップでは50人ぐらいの生徒も働いていたと言われています。その代わりに、人件費なども入れて、ラファエロの作品のコストが非常に高かったです。例をあげると、バチカン美術館にあるユリウス2世のアパートのコンスタンティヌスの間だけで壁画のコストが7万シルド(約7億円!)となりました。ミケランジェロが同じユリウス2世のために大理石の立派なお墓でただの5千万円を請求していたと考えると、とんでもない金額になりますね。しかし、質が高くて、納期もちゃんと守っていたので、クライアントは必ず満足していて、クレームは一切ありませんでした。
ほかのアーティストはたくさん稼いでも、一銭も節約できませんでした。ここ数年に本でもやっと知られるようになったバロック時代のカラバッジョはその一人でした。彼も才能のある画家でしたが、貧しい家族で生まれていたもので、若い時から教皇の町で成功を求めにローマへ移動しました。しかし、はじめからけんかをおこしたり、酔ったり、売春婦と遊んだりしていたので、早いうちに「のろわれた画家」というニックネームをつけられてしまいました。都会のローマでは生活費が高くて、絵を安く売ってなんとか生き残ることはできましたが、そのうちもっともえらい枢機卿の中で評判が高くなりました。だいたい、大きめの油絵が一枚で2〜3百万円をもらっていました。もちろん、ルネッサンス時代の有名なアーティストの収入に比べられなかったけれども、彼の時代にしては非常にいい生活を送れるはずでした。それでも、稼いだ分をいつも使い切るカラバッジョはお金持ちのアーティストにどうしてもなれませんでした。
皆さん、僕のブログへようこそ! むか〜しからウェブサイトかブログなどを インターネットにのせたかったが、やっと 自信がつきました!今日からイタリアのファンの日本人の皆様がいろいろな情報をローマガイドにてご覧になれます。 人気のお店やレストラン、秘密の観光地やお得なスーパーマーケットなどの穴場をご紹介して、はじめてのイタリアでの旅行者だけに限らず、リピーターの方にも役に立てるブログをこれから作っていきたいと思います。
Wednesday, February 15, 2012
Tuesday, February 14, 2012
スイスの兵隊
スイスの兵隊はローマ法の個人的な兵隊です。ルネッサンス時代から残ったカラーフルな制服のことで有名で、伝説によるとミケランジェロがデザインしたそうです(実は学者たちがいうにはスイスの兵隊のユニホームをはじめて描いたのはミケランジェロではなく、ラファエルだったそうです。バチカ ン美術館のいくつかの壁画で見れます)。
1506年にユリウス2世によって確立されて、本来ただの傭兵だったこの軍隊のメインの目的は教皇と教皇官邸を守ることでした。いちばん最初に 150人ぐらいの小さい軍隊でした。その後もちろん人数が非常に増えていましたが、現在は110のみの象徴的な兵隊となっています。世界中いちば ん小さい国なので、ちょうどいちばん人数少ない軍隊!象徴的ですが、訓練と労働時間はハードで、ちゃんと本気でやっています。毎日8時間立ちなが ら、立場を守って、槍などの古代の武器と銃を両方とも上手に使えるのです。
現在でも伝統的にスイスの兵隊に入るための必要条件がきびしいです。もちろん、国籍はスイスではないといけませんが、みんな道徳的資質のある家族の中から19〜30才の間の人のみ選ばれます。募集は年に4回も行われますが、毎回約200人の候補が申し込みます。選択された候補がまず2年契約にサインしますが、延長も可能なので、継続したい人は20年まで更新できます。兵役中スイスの兵隊がバチカンとスイスの国籍を両方とももっています。
多くの人の憧れなのに、お給料の面で言うとメリットがあまりありません。たいていの給料は1000〜1200ユーロとなっていますが、実はスイス人にとって教皇を守るということはプライドのことです。
自由な時間にスイスの兵隊は運動をたくさんします。兵舎のジムではウェイト以外室内のフットサル、バレーボールやバスケットボールなどのコートもあります。自由な時は運動以外、もちろんでかけることもできますが、24時までに帰らなければなりません。
最後ですが、スイスの兵隊の有名な縞模様ユニホームは黄色、赤、青のメディチ家のカラーになっていますが、154枚の小さい生地でもできていて、すべてをぬうのに32時間もかかるらしい。ご存知でしたか。
1506年にユリウス2世によって確立されて、本来ただの傭兵だったこの軍隊のメインの目的は教皇と教皇官邸を守ることでした。いちばん最初に 150人ぐらいの小さい軍隊でした。その後もちろん人数が非常に増えていましたが、現在は110のみの象徴的な兵隊となっています。世界中いちば ん小さい国なので、ちょうどいちばん人数少ない軍隊!象徴的ですが、訓練と労働時間はハードで、ちゃんと本気でやっています。毎日8時間立ちなが ら、立場を守って、槍などの古代の武器と銃を両方とも上手に使えるのです。
現在でも伝統的にスイスの兵隊に入るための必要条件がきびしいです。もちろん、国籍はスイスではないといけませんが、みんな道徳的資質のある家族の中から19〜30才の間の人のみ選ばれます。募集は年に4回も行われますが、毎回約200人の候補が申し込みます。選択された候補がまず2年契約にサインしますが、延長も可能なので、継続したい人は20年まで更新できます。兵役中スイスの兵隊がバチカンとスイスの国籍を両方とももっています。
多くの人の憧れなのに、お給料の面で言うとメリットがあまりありません。たいていの給料は1000〜1200ユーロとなっていますが、実はスイス人にとって教皇を守るということはプライドのことです。
自由な時間にスイスの兵隊は運動をたくさんします。兵舎のジムではウェイト以外室内のフットサル、バレーボールやバスケットボールなどのコートもあります。自由な時は運動以外、もちろんでかけることもできますが、24時までに帰らなければなりません。
最後ですが、スイスの兵隊の有名な縞模様ユニホームは黄色、赤、青のメディチ家のカラーになっていますが、154枚の小さい生地でもできていて、すべてをぬうのに32時間もかかるらしい。ご存知でしたか。
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